ここは、北前船で栄えた港町の歴史を背景に、漁師の営みが息づいている新湊内川。高度経済成長やバブル経済の崩壊を横目に、独自の文化を育んできた〝富山のガラパゴス〟のようです。
ゆるくカーブをした川に沿って並んでいる現役の漁船。となりとピッタリくっついて建て並ぶ、間口の狭い町家。縦横無尽に重なり合う屋根たちが、空との境界にギザギザのシルエットを形づくっています。通うほどに、歩くほどに、さらに味の出る、まちあるき。私たちは「内川さんぽ」と呼んでいます。
足元に目をやれば、護岸の際のギリギリの近さに迫る水面が、とても斬新な風景に映ります。錆びたトタンの壁や、民家の板壁に挟まれた路地、辻つじにある立派な「おんぞはん(地蔵堂)」など、感性を振るわせてくれるこのまちに、完全に〝ヤラレて〟しまった人々が内川に集っています。
色々と調べてみて驚いたのは、この川の流れが、平安時代からあったということ。そして、鎌倉時代には「守護所」が置かれて、越中地方の政治、経済、文化の中心だったこと。川沿いに栄えた中世の港町のかたちを、今に残している貴重な地域だと言えます。
半世紀もの間、意図して開発の手から逃れてきたような、そんな先見性さえ感じるこのまちが、観光地になっていないのが不思議なくらいです。
この魅力的なまちが、空き家の増加で困っていると知ったとき、ショックを受けると同時に、急に、何かできることはないかと、私たちに主体性が生まれました。その答えが、空き家の古民家をカフェにした「uchikawa 六角堂」でした。
人口が減り、新しく家族をつくる世代が少なくなると、空き家が増える一方です。それを加速させているのが「新築志向」なのかもしれません。壊しては造る、壊しては造る、この繰り返しです。
単なるノスタルジーではなくて、空き家になっている伝統的な木造住宅が、日本に残された貴重な文化だと思うのです。
住まいは、その国の人々の文化レベルを知るうえで、実は大変重要なことです。だからこそ、奇跡的に残っている内川の生活風景にアイデンティティを感じます。
漁業の文化と町民の文化が入り交ざり、人々の暮らしが生きているまち。その街並みを世界の人々から賞賛される日が必ずやってくると信じています。